diff --git a/src/ja/2023-03/06/01.md b/src/ja/2023-03/06/01.md index 4306652dac9..e24cf5e075d 100644 --- a/src/ja/2023-03/06/01.md +++ b/src/ja/2023-03/06/01.md @@ -3,4 +3,19 @@ title: 福音の神秘 date: 29/07/2023 --- -###
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\ No newline at end of file +>

暗唱聖句

+>どうか、わたしたちのうちに働く力によって、わたしたちが求めまた思うところのいっさいを、はるかに越えてかなえて下さることができるかたに、教会により、また、キリスト・イエスによって、栄光が世々限りなくあるように、アァメン。(エペソ 3:20、21、口語訳) +> わたしたちの内に働く御力によって、わたしたちが求めたり、思ったりすることすべてを、はるかに超えてかなえることのおできになる方に、教会により、また、キリスト・イエスによって、栄光が世々限りなくありますように、アーメン。(エフェソ 3:20、21、新共同訳) + +### 今週の聖句 +エフェソ 3 章、ヨブ記 11:5-9、エゼキエル 43:13-16、アモス 7:7、8、黙示録 11:1、2 + +エフェソ 3 章は、パウロがこれまでに触れたテーマで始まります。「すなわち、異邦人が福音によってキリスト・イエスにおいて、約束されたものをわたしたちと一緒に受け継ぐ者、同じ体に属する者、同じ約束にあずかる者となるということです」(エフェ 3:6)。このことは、教会員のほとんどが異邦人である今日の教会にとっては驚くことではないかもしれませんが、当時のパウロの手紙の読み手にとっては、まったく新しいことのように思えることでした。 + +次にパウロは、霊感に満ちた言葉を続け、使徒として異邦人にイエスの福音を告げ知らせるために情熱を注いでいたことを振り返ります。 + +私たちはまた、その宣教を拡大するために、ローマで投獄されたことを含む、パウロの現在の困難について学びます。 + +さらに、福音の中心にある神秘、教会において、異邦人がユダヤ人の兄弟姉妹と対等な立場にあるという神秘へのパウロの献身について聞きます。教会と教会に与えられた全世界の人々への使命に対するパウロの情熱を知るのです。そして、教会を通してあらわされている神の恵みを、神に賛美しているパウロの祈りに耳を傾けます。 + +つまり、私たちはパウロの福音への情熱に力づけられるのです。 \ No newline at end of file diff --git a/src/ja/2023-03/06/02.md b/src/ja/2023-03/06/02.md index a3da02a3c16..1ec4a0d0490 100644 --- a/src/ja/2023-03/06/02.md +++ b/src/ja/2023-03/06/02.md @@ -1,6 +1,16 @@ --- -title: 日課 +title: 異邦人のために投獄された使徒パウロ date: 30/07/2023 --- -###
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\ No newline at end of file +`エフェソ 3 章を読んでください。そこに一つか二つのテーマを読み取るでしょう。パウロはどんな主要なテーマに触れていますか。` + +エフェソ 3 章は興味深い構成になっています。パウロは、この章を「こういうわけで、あなたがた異邦人のためにキリスト・イエスの囚人となっているわたしパウロは......」(エフェ 3:1)と書き始めます。それから本題からそれて、異邦人への使徒としての働きに焦点を当て(同 3:2 - 13)、その後、「こういう わけで」(同 3:14)と本題に戻り、14 - 21 節で中断された祈りを書きます。 + +パウロはエフェソ3:1で、自らを「キリスト・イエスの囚人」であると名乗り、ローマの囚人としてローマ帝国の権威の下にあるけれども、自分の人生に、より深い神の目的が働いていると主張します。彼はローマの囚人ではなく、「キリスト・イエスの囚人」(同 4:1 と比較)なのです! + +パウロの「苦難」(エフェ 3:13)と後述される「鎖」(同 6:20)という表現は、彼が比較的快適な家での軟禁状態(使徒 28:16 と比較)にあるのではなく、獄中にいたことを示唆しています。1世紀の牢獄、しかもローマの地下牢にいることは、特に困難なことでした。ローマ帝国は、衛生的な設備や定期的な食事を提供する、よく整った牢獄を運営してはいませんでした。事実、ローマ帝国では、投獄を刑罰の手段として使うことがなかったので、牢獄の必要性はほとんどありませんでした。牢獄は、裁判や処刑を待つ間だけ使われました。囚人は自活することが期待され、食べ物やその他の必要なものは、親族や友人に頼っていました。 + +パウロの心配の中心は、おそらく、自分が囚人であることが信徒たちに与える精神的なショックであったと考えられます。なぜなら、栄誉と恥を重んじる文化にあって、囚人であることが極めて社会的に不名誉なことであったからです。パウロは、「高められたキリストの使徒であり、メッセンジャーであるパウロが、どうして軽蔑される囚人でありうるのか」と問われることを懸念したかもしれません。そこでパウロは、信徒が自分の投獄を神の計画の一部であることを理解するのを助けるために、別の視点から語ります。パウロは彼らのために(新共同訳では「あなたがたのために」)苦難を受けているのであり、恥ずべきことに見えることが、実は彼らの「栄光」(同 3:13)のためになっていました。 + +`非常に困難な状況の中にあって、神とその計画を信頼することを学ぶために、どうすればよいでしょうか。` \ No newline at end of file diff --git a/src/ja/2023-03/06/03.md b/src/ja/2023-03/06/03.md index 01b5e2145a2..3ce0a57404e 100644 --- a/src/ja/2023-03/06/03.md +++ b/src/ja/2023-03/06/03.md @@ -1,6 +1,20 @@ --- -title: 日課 +title: 長く秘められていた計画 date: 31/07/2023 --- -###
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\ No newline at end of file +`パウロに託された秘められた計画とは何ですか(エフェ3:1-6)。` + +エフェソ 3:1 - 6 を読むとき、次の点に注意してください。第一に、パウロはこの手紙のこの部分を、特にエフェソの家の教会の異邦人信徒に向けて書いていることです(エフェ 3:1)。 + +第二に、パウロは、「あなたがたのために」、すなわち異邦人信徒たちのために、「神がわたしに恵みをお与えになった」と主張していることです(エフェ 3:2)。パウロは、異邦人に福音(神の恵み)を告げ知らせるために与えられた宣教命令を、スチュワードシップ、恵みの奉仕と表現しています。(同 3:7 と比較)。 + +第三に、パウロは、彼がすでにこの手紙の中で書いたテーマ(特にエフェ 1:9、10、2:11 - 22)である「秘められた計画」が啓示されたと主張していることです。パウロは、自分がその福音の発案者として理解されるのではなく、福音を告げ知らせるために神から与えられた宣教であると主張しています。 + +第四に、この「秘められた計画」についてあらかじめ啓示されたのは、パウロだけではないということです。聖霊は、この秘められた計画を、先の時代に与えられた神の計画の啓示にまさる方法で、「キリストの聖なる使徒たちや預言者たち」にも啓示されました(エフェ 3:5)。ここで言う「預言者たち」とは、おそらく旧約時代の預言者ではなく、初期のクリスチャンの家の教会の中で、預言の賜物を与えられ、それを用いた者を指していると考えられます。かつては秘められていたその計画は、今では「公然の秘密」と呼ばれるものになっています。 + +最後に、パウロが、この計画は、「すなわち、異邦人が福音によってキリスト・イエスにおいて、約束されたものをわたしたちと一緒に受け継ぐ者、同じ体に属する者、同じ約束にあずかる者となる」(エフェ 3:6)と宣言していることです。 + +パウロは、この福音、特にユダヤ人と異邦人によって構成される教会内で福音がどのように表現されるかを熱心に解き明かしています。この二つのグループは神の新しい共同体であり、神の新しい共同体の名称である教会を構成する石となりました(エフェ 2:14 - 16 参照)。彼らは今、敵対する者から、「一緒に受け継ぐもの」、「同じ体に属する者」(キリストの体という一つの体に属する者)、「そして同じ約束にあずかる者」に変えられたと言えます(同 3:6 参照)。 + +`福音が教える包括性と矛盾する意見や態度があるとすれば、それが表面化していないとしても、あなたはそれらをどのように取り除きますか。` \ No newline at end of file diff --git a/src/ja/2023-03/06/04.md b/src/ja/2023-03/06/04.md index 5eb964441cb..e35358c10e5 100644 --- a/src/ja/2023-03/06/04.md +++ b/src/ja/2023-03/06/04.md @@ -1,6 +1,14 @@ --- -title: 日課 +title: 神の知恵を解き明かす教会 date: 01/08/2023 --- -###
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\ No newline at end of file +`エフェソ 3:7-13 で、パウロは神とその働きについてどのように述べていますか。` + +パウロはここで再び、神は、「わたしに恵みを賜り、この福音に仕える者としてくださいました」と述べています(エフェ 3:7、3:1、2と比較)。この賜物は、福音そのものと同様に、受ける者の価値によって与えられるのではなく、神の恵みによって与えられるものです。パウロは自分自身を「聖なる者たちすべての中で最もつまらない者である」(同 3:8)と表現し、この点を強調しています。 + +パウロの自己理解は、彼の手紙を書かれた順に見ていくと、興味深い変化をたどっていることが分かります。当初、パウロは、自分を神から任命された使徒である(ガラ 1:1)と主張します。しかしその後、自分を「使徒たちの中でもいちばん小さな者」「使徒と呼ばれる値打ちのない者」と紹介します(1 コ リ 15:9)。このエフェソの信徒への手紙では、「聖なる者たちすべての中で最もつまらない者である」(エフェ 3:8)と見ています。最後には「罪人のかしら」(1 テモ 1:15、口語訳)、「罪人の中で最たるもの」(同、新共同訳)とまで表現しています。 + +このパウロの一連の思想を理解するには、次のエレン・ホワイトの有名な言葉が助けとなるでしょう。「イエスに近づけば近づくほど、ますます欠点が多く見えてきます。それは自分の目が開けて明らかになり、イエスの完全さに比べて、自分の不完全さが大きくはっきりと見えるからです。これは悪魔の惑わしの力が失われ、人を生かす聖霊の力が働いている証拠です」(『希望への光』 1957 ページ、『キリストへの道』改訂文庫版 96 ページ)。 + +パウロはさらに続けて、エフェソ 3:10 では次のように書きます。「こうして、いろいろの働きをする神の知恵は、今や教会によって、天上の支配や権威に知らされるようになったのです」。この「天上の支配や権威」はだれのことでしょうか。教会はどのように神の「いろいろの」、あるいは多面的な知恵を示すのでしょうか。エフェソ 3:10 はこの権威の性質を説明していませんが、エフェ ソ 6:11、12 に詳しく説明されている悪の力と考えるのが最善だと思われます。もしそうなら、教会の組み合わせ、かつては分断していたユダヤ人と異邦人の結びつきは、この悪の「天上の支配や権威」に対して、「天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられる」(エフェ 1:10)神の将来の計画を力強く告げ知らせるものとなります。教会は、神の計画が進行中であり、悪の力が滅びることを告げ知らせます。一つにされた教会の性質は、彼らの最終的な敗北を示しています。 \ No newline at end of file diff --git a/src/ja/2023-03/06/05.md b/src/ja/2023-03/06/05.md index 3fa64d1d011..1ac44b63d7e 100644 --- a/src/ja/2023-03/06/05.md +++ b/src/ja/2023-03/06/05.md @@ -1,6 +1,14 @@ --- -title: 日課 +title: あなたの心に住まわれるキリスト date: 02/08/2023 --- -###
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\ No newline at end of file +`エフェソ 1:16-19 と、同 3:14-19 のパウロの信徒のための嘆願の祈りを比べてみてください。どんな共通点がありますか。` + +エフェソ 3:14、15 の英訳の背後には、重要な言葉遊びが見られます。パウロが「わたしは御父の前にひざまずいて祈ります。御父から、天と地にあるすべての家族がその名を与えられています」と述べるとき、彼は、「父」を意味するギリシア語の「パテール」と、「家族」を意味する「パトリア」の間に共通する韻を求めています。エフェソの信徒への手紙の中で、パウロは神の救いの計画は包括的なものであり、それはすべての時(同 1:9、10)を超えて、すべてのもの(同 1:21)に及ぶことをたたえています。そして、パウロは、「天と地にあるすべての家族」が「御父」に属していると主張しています。すべての家族(パトリア)が、御父(パテール)の名を与えられています。これはすばらしい福音です! + +このことをさらに考えてみましょう。あなたの家族は、不完全さや欠点があるにもかかわらず、神に属しています。あなたの家族は、悲惨な宿命に捕らえられているのではなく、神の配慮の御手の中にあります。神は不完全な家族を愛しておられます。彼らは神の名を身に帯びています。彼らは神の所有であることを示すしるしを身に受けています。 + +エフェソ 3:16 - 19 でパウロは、聖霊の臨在による内なる力、心の内に住む者として描かれているキリストとの親密な関係(同 3:17)、揺るぎない霊的アイデンティティー(「愛に根ざし、愛にしっかりと立つ」〔同 3:17〕こと)を特徴とする豊かな霊的経験(同 3:16)を信徒に与えてくださいと祈っています。 + +パウロは、信徒に与えられる祝福の大きさを神に賛美するために、三つの次元でなく、「広さ、長さ、高さ、深さ」(同 3:18)の四つの次元を挙げています。彼は、これらの次元が何に適用されるかを明確に特定していませんが、何か重要なものの大きさを説明していることは明らかです。これは聖書を学ぶ者に興味深い問いを残します。これらの次元は、神の知恵(四つの次元を使うヨブ 11:5-9と比較)、神の力(エフェ 3:16、17と比較)、あるいは、エフェソ2:19-22 の霊的な神殿(四つの次元を使うエゼ 43:13 - 16、アモ 7:7、8、黙 11:1、2 と比較)を表現しているのでしょうか。「キリストの愛」(エフェ 3:18)の大きさを説明し、「広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し」(同 3:18)と、次の「この愛を知るように」(同 3:19、ロマ 8:35 - 39 と比較)に平行していると理解するのが最善なのかもしれません。いずれにせよ、それらは福音です。 \ No newline at end of file diff --git a/src/ja/2023-03/06/06.md b/src/ja/2023-03/06/06.md index a34d30cd985..00a457b7ac3 100644 --- a/src/ja/2023-03/06/06.md +++ b/src/ja/2023-03/06/06.md @@ -1,6 +1,14 @@ --- -title: 日課 +title: 教会とキリスト・イエスにある栄光 date: 03/08/2023 --- -###
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\ No newline at end of file +`パウロはこの祈りを、神の栄光をたたえる賛美である頌しょう栄えいで結んでいます。彼が神を賛美した理由は何でしょうか(エフェ3:20、21)。` + +パウロは信徒たちのための祈りを記録してきましたが(エフェ 3:14 - 19)、今彼は、率直に力強く祈ります。パウロの頌栄は、二つの疑問を投げかけます。第一の疑問は、「教会により、また、キリスト・イエスによって」(同 3:21)という表現です。教会をキリストと同等に位置づけ、不適切に高めているのではないかということです。パウロはエフェソの信徒への手紙の中で、教会に高い関心を寄せていますが、信徒の心に住まうのはキリストですから(同 3:17)、キリストが教会の救い主であることは明らかです。パウロは頌栄の中で、キリスト・イエスを通して教会に与えられた救いのゆえに神を賛美しています。 + +第二の疑問は、「世々限りなくありますように」(同 3:21)という表現です。キリストの再臨を待たずして、教会が永遠に地上に存在する将来を描いているのではないかということです。エフェソの信徒への手紙は、将来に対して強い期待を示しています。例えば、エフェソ 4:30 は、「贖あがないの日」に目を向けています。また信徒たちは、「来きたるべき世」(同 1:21)においてキリストの無限の主 権的な力を知ることになります。パウロの頌栄は、信徒のために行使されるキリストの限りない力をたたえていると読むべきでしょう。パウロの二番目の祈り(エフェ 3:14-21、1:15-23と比較)を振り返ってみると、パウロが、宇宙 規模の御父の慈愛(同 3:14、15)、聖霊の準備ができていること(同 3:16)、キリストご自身の働き(同 3:17)、そして、キリストの愛の測り知れない大きさ(同 3:18、19)に力を見いだしていることが分かります。これらは真実であり、パウロは、信徒が「神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり」(同 3:19)、これらの霊的現実を賛美のうちにほめたたえることを思い描き、聖徒に与えられている神の力の豊かさに再び驚嘆するのです(同 3:20、21)。 + +私たちが問題、誘惑、疑いに押しつぶされそうになるとき、パウロのこの力強い祈りに立ち返ることができます。この投獄された使徒は、私たちの目を神の目的と恵みという壮大な領域に引き上げ、現在の状況がどうであれ、私たちは神の究極の計画の参加者であり(同 1:9、10)、神の力が私たちのうちに働いていることを思い起こさせてくれています。 + +`あなたにとって、神からのどんな祝福が特に大切ですか。` \ No newline at end of file diff --git a/src/ja/2023-03/06/07.md b/src/ja/2023-03/06/07.md index d2616023a3a..ac2e6388934 100644 --- a/src/ja/2023-03/06/07.md +++ b/src/ja/2023-03/06/07.md @@ -3,4 +3,12 @@ title: さらなる研究 date: 04/08/2023 --- -###
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\ No newline at end of file +参考資料として、『各時代の大争闘』第 27 章「リバイバルと清め」を読んでください。 +「私たちが持つ特権である知識の豊かさについて述べているこの聖句〔エフェソ 3:14 - 19〕と、私たちの成長の止まった霊的状態を、どのように調和させることができるだろうか。恵みのうちに成長するためにあらゆる霊的及び物質的な恩恵を与えられている私たちが、その機会を生かしていないなら、どのように天は私たちを見守ることができるだろうか。使徒〔パウロ〕がこれらの言葉を書いたのは、私たちをからかうためでも、欺くためでも、私たちに期待させ落胆させるためでもない。彼は、私たちが神の国を受け継ぐ者であるならば、どのような者になれるか、また、どのような者であるべきかを示すために書いたのである。私たちの霊的成長が止まっているならば、どうして神の共労者となることができるのだろうか。私たちは、クリスチャンの特権を知り、主が私たちに望んでおられる神の事柄の中に、深い霊的な悟りを求めるべきである」「私たちは本当に聖書を信じているだろうか。私たちはこの聖句の中に示されているような神の知識を得ることができると、本当に信じているだろうか。私たちは神の口から出る一つひとつの言葉を信じているだろうか。私たちは預言者や使徒たちによって語られた、すべての光と祝福の創始者であり、すべての豊かさと満ちあふれるものを宿しておられるイエス・キリストの言葉を信じているだろうか。私たちは本当に神とその御子を信じているだろうか」(『アドベンチストレビュー・アンド・サバスヘラルド』1889 年 10 月 1 日号、英文)。 +話し合いのための質問 + +`❶ エフェソ3:20、21のパウロの頌しょう栄えいを、新約聖書の他の頌栄と比べてください(ロマ 11:33 - 36、16:25 - 27、フィリ 4:20、2 ペト 3:18、ユダ 24、25)。これらの聖句のテーマや思想は何ですか。これらの聖句が示す賛美や礼拝の姿勢を、私たちはどのように適用できるでしょうか。` + +`❷ エフェソの信徒への手紙で、パウロはギリシア語の「プレロマ」(満ちあふれる豊かさ)という言葉を4回使っています(エフェ 1:10、23、3:19、4:13)。このことは、なぜパウロにとって重要なのでしょうか。` + +`❸ パウロは、エフェソの信徒への手紙の前半を、祈りと賛美の言葉を用いて、冒頭と同じように結んでいます(エフェ 1:3 - 21)。彼は、キリストと聖霊を通して信徒たちの生活にあらわされる神の力をたたえています(同 3:16-21)。どうすれば、私たちはこの力をよりよく経験できるでしょうか。` \ No newline at end of file