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Original file line number | Diff line number | Diff line change |
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@@ -1,6 +1,16 @@ | ||
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title: 日課 | ||
title: 子どもたちへの助言 | ||
date: 03/09/2023 | ||
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### <center>この日課はまだ完了されていません。もう少し後で戻ってきてください。</center> | ||
`パウロは子どもたちにどのような助言をし、その助言を旧約聖書から どのように裏づけていますか(エフェ6:1-3〔マタ 18:1-5、10、マコ 10:13-16 も参照〕)。` | ||
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パウロの子どもたちへの助言を十分に理解するためには、それが、繁栄した大都市であるエフェソの家の教会で、読み上げられていたことを考慮する必要があります。「子供たち」(ギリシア語では「タ・テクナ」)という言葉は、幅広い年齢を指していました。子どもは、(ギリシアの伝統では)父親が60歳になるまで、(ローマの伝統では)父親が死ぬまで、父親の権威の下に置かれていました。しかし、ここの子どもたちは、親の訓練を受けるに十分な若さがありましたが(エフェ 6:4)、自分自身の判断で、弟子になることができる年齢でもありました。 | ||
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パウロは、クリスチャンの会衆の中で礼拝している子どもたちに、「主に結ばれている者として」、つまり、キリストに従うように(エフェ 5:22、6:4、5、7 - 9 と比較)、両親に従い、敬うよう訴えています。私たちはここで、子どもたち自身がキリストの弟子であることを尊重し、礼拝の参加者として子どもたちも含めることが求められています。そうすることによって、この箇所は、子育てと子どもへの伝道のための基礎的な助言となります。 | ||
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パウロの「従うように」との命令は絶対的なものではありません。「親の要求がキリストの要求に反する時、子どもたちは、苦しくとも神に服従し、結果を彼にまかせなければならない」(『希望への光─クリスチャン生活編』736ページ、『アドベンチスト・ホーム』第 50 章「両親の受けるべき尊敬」より)。 | ||
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パウロは、(十戒の)第五条を引用して子どもたちへの勧めを結んでいますが、これはパウロが、クリスチャン信徒のための手引きの源として十戒に高い価値を置いていることを証しています(エフェ 4:1 - 6:9 の明らかな特徴、特に同 4:25、28、同 5:3 - 14)。彼は十戒の引用をもって始め(「『父と母を敬いなさい』」エ フェ 6:2)、論説的なコメントを加え(「これは約束を伴う最初の掟です」〔同 6:2〕)、次に十戒からの引用をもって結びます(「そうすれば、あなたは幸福になり、地上で長く生きることができる」〔同 6:3〕)。第五条は、両親を敬うことは人間が繁栄するための神の計画の一部であることを証言しています。たとえ不完全な両親であっても、両親を敬うことは、健康と幸福を育むことにつながります。 | ||
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`これらの聖句は、家族関係の重要性をどのように強めていますか。` |
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@@ -1,6 +1,15 @@ | ||
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title: 日課 | ||
title: 両親への助言 | ||
date: 04/09/2023 | ||
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### <center>この日課はまだ完了されていません。もう少し後で戻ってきてください。</center> | ||
`エフェソ 6:4 とコロサイ 3:21 を比較してください。コロサイ 3:21 は、子どもをいらだたせないようにするために、どのような動機を示していますか。` | ||
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パウロの時代に入手できたユダヤ文書であるシラ書は、息子の扱い方について父親にこう助言しています。「わが子を愛する者は、しばしば鞭で懲らしめる。......子どもを甘やかすがよい。いずれお前を愕がく然ぜんとさせることになる。子供は、放任すればお前を驚きあわてさせ、溺でき愛あいすれば、お前を嘆かせることになる。......お前の子供をしつけ、子供のために苦労せよ。さもないとその子は非行に走り、お前を困らせる」(シラ書〔旧約聖書外典〕30:1、9、13)。 | ||
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パウロの勧告はこれとはまったく異なっています。彼はまず、父親に「子供を怒らせてはいけません」と否定の戒めを語ります。そして、「主がしつけ諭されるように、育てなさい」と肯定の戒めを続けます(エフェ 6:4)。パウロの時代には、子どもは父親の所有物と見なされ、父親は子どもに対して完全な法的権限を持っていました。父親は自分の子どもに暴力的な罰を与える権利があり、死なせることさえ許されました。実際いくつかの点で、父親の子どもに対する権力は、主人が奴隷に対する力を上回るほどでした。パウロは、父親のそのような権力を肯定するのではなく、家族関係を大胆に明確にし、つくり変えています。キリストへの忠誠という文脈において、パウロはクリスチャンの父親に、権力の行使を考え直すように勧めています。怒りに駆られた子どもは、 | ||
「主の教育と訓戒」(同 6:4、新改訳)を受け入れるのに適した状態ではないからです。 | ||
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「親は家庭で、神のご性質を代表する者とならなければなりません。ですから、あなたがたは口やかましく服従を要求するのではなく、親切な愛情深い態度でそうしましょう。......家庭では快活にふるまいましょう。悪い感情を起こすような言葉はすべて慎みましょう。『父たる者よ、子どもを怒らせないで、......育てなさい』とは神のご命令です。......神のみ言葉には、親が厳し過ぎたり、子どもを圧迫したりすること、また子どもが親に従わないことは全く容認されていません。家庭生活や国家を治める神の律法は、限りない愛の心から流れ出ているのです」(『希望への光─クリスチャン生活編』149、150ページ、『家庭の教育』 第 45 章「愛と固い決意を持って」より)。 | ||
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`この学びは親子の関係に関するものですが、ここから、他の人々との関係においても適用できる、どのような原則を見いだすことができますか。` |
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title: 日課 | ||
title: パウロの時代の奴隷制度 | ||
date: 05/09/2023 | ||
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### <center>この日課はまだ完了されていません。もう少し後で戻ってきてください。</center> | ||
`次の聖句にある奴隷とその主人に対する勧めを読んで、内容をまとめてください(エフェ6:5-9、コロ 3:22-4:1、1 コリ 7:20-24、1 テモ 6:1、2、1 ペト 2:18-25)。` | ||
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パウロが、クリスチャン奴隷の主人に向かって語りかけていること、またクリスチャン奴隷とその奴隷の主人がエフェソの家の教会で席を共にしている姿を想像することは驚くべきことです。ギリシア・ローマ世界の奴隷制度は、のちの新世界の奴隷制度とは大きな違いがありました。ここでの奴隷制度は、単一の民族を対象としたものではありません。都市部の家内奴隷は、時に教育の機会が与えられ、建築家、医師、哲学者として働くことができました。このような家内奴隷は、一定期間働いたのちに自由を与えられることがありましたが、ほとんどの奴隷は一生自由を得ることができませんでした。このような違いを理解した上で、最近の聖書は、エフェソ 6:5 - 8 のギリシア語の「ドゥーロス」(奴隷)を「無給労働者」と訳しているものが多くあります。 | ||
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いずれにせよ、奴隷制度はいつの時代でも、どのような文化、状況であっても許し難い悪であり、神はご自身の正義に従って奴隷所有者を裁き、断罪されます。それゆえに、私たちは感謝することができます。 | ||
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元奴隷のプブリウス・シルスは次のように叫んでいます。「奴隷としておとしめられるよりも、美しい死を」と。このような現状を考えると、特にこれらの奴隷は主人の脅威の下にあったのですから、「ドゥーロス」を「奴隷」と訳す方が適切であると言えるでしょう。 | ||
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パウロの世界では、奴隷制度は常に存在する悪でした。彼は社会変革者としてではなく、1 人の牧会者として、現在の課題にどう取り組み、後に社会全体に大きな影響を与えることになる、個々の信徒の変革を中心とした新たな幻を描くよう、信徒たちに助言しています。「彼の幻は、ローマ帝国における奴隷解放ではなかった。むしろ、彼の描いた幻は、法的解放以上のもの、つまり、神の子としての養子縁組に基づく、新しい創造的な兄弟姉妹の交わりであった。......パウロにとっての社会変革は、教会において、キリストの体の内で、地域レベルで、クリスチャンの家の教会と家庭において起こるものであった」(スコット・マクナイト『フィレモンへの手紙』10、11 ページ、英文)。 | ||
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`奴隷制度を正当化するために、聖句が利用されたことがありました。私たちは、神の言葉をどのように注意深く扱う必要があるでしょうか。` |
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@@ -1,6 +1,20 @@ | ||
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title: 日課 | ||
title: キリストの奴隷 | ||
date: 06/09/2023 | ||
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### <center>この日課はまだ完了されていません。もう少し後で戻ってきてください。</center> | ||
`パウロはクリスチャンの奴隷に対する詳細な教えの中で、彼らに何を求めていますか(エフェ6:5-8)` | ||
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パウロはクリスチャンの奴隷たちに、主人に従い、真心からの優れた奉仕をするよう求めています。ここで注目すべきは、パウロが繰り返し述べている、壮大な置き換えを彼らに求めていることです。彼らは、自らの主人をキリストに置き換え、キリストにのみ属する忠誠をその主人にささげるのではありません。むしろ、彼らの真心からの優れた奉仕の動機となる献身と忠誠において、主であるキリストを自らの主人の代わりに置き換えることです。この本質的な置き換えの実践を勧めることによって、パウロは、従来の奴隷制度の理解とはまったく異なる、クリスチャンの主従関係という概念を提供しています。 | ||
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パウロはこの置き換えを、次のようにいくつか挙げています。 | ||
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* 奴隷の主人が、「地上の主人」(エフェ 6:5、新改訳)であり、真の天の主を指していること。 | ||
* クリスチャン奴隷は、「キリストに従うように、おそれおののき、真心を込めて」(同 6:5)主人に仕えねばならないこと。 | ||
* クリスチャン奴隷は、〔人間の〕主人に仕える奴隷としてではなく、「キリストの奴隷として」(同 6:6)真心から仕えること。 | ||
* クリスチャン奴隷は、真心から神に仕えることによって、「心からの神の御心を」(同 6:6)行うこと。 | ||
* 「人にではなく主に仕えるように」(同 6:7)と、積極的な動機によって奉仕することが勧められていること。 | ||
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クリスチャンの奴隷は、真心から仕えたことに対して、再臨のとき、キリストから豊かな報いを受けることができます。彼らはキリストのために仕えたので、主から報酬をいただくことができるのです。これは、この恐ろしい制度に捕らえられている人々にとって、特に魅力的なことではないでしょうか。奴隷は、地上の主人から感謝されず、さらにひどい仕打ちを受けることもあるでしょう(1 ペト 2:19、20)。しかし、信じる奴隷には、思いやりがあり、「善いことを行えば」(エフェ 6:8)それに気づき、確実に報酬を与えてくださる主がおられます。 | ||
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`このパウロの言葉から、私たちはどのような原則に基づいて、一緒に働く人々 と関わることができますか。` |
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@@ -1,6 +1,16 @@ | ||
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title: 日課 | ||
title: 奴隷である主人 | ||
date: 07/09/2023 | ||
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パウロの「奴隷であっても自由な身分のものであっても」(エフェ 6:8)との奴隷に対する最後の言葉の中の「自由」という言葉は、彼らの主人に対する立場を意味しています。パウロは、最後の裁きにおいては、奴隷もその主人もキリストの前に同等の立場で立つことを想像しながら(2 コリ 5:10、コロ 3:24、25 と比較)、次の主題である奴隷の主人に対する勧めへと移ります。 | ||
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`あなたが奴隷の主人であるとして、この手紙が読み上げられるのを聞くとき、あなたは奴隷の前でこの勧めにどのように応えますか(エフェ6:9)。` | ||
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パウロは、奴隷を「脅す」習慣を持っていた「主人たち」(ギリシア語では「ホイ・キューリオイ」)と、「主」(ギリシア語では「ホ・キューリオス」)、つまり、「分け隔てなさらない」キリストとの明確な対比に目を向けて、奴隷の主人に熱心な勧めを述べています。 | ||
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パウロは主人たちに、「同じように奴隷を扱いなさい」と求めていますが、これは1世紀の奴隷所有者にとって衝撃的なことだったでしょう。パウロが奴隷に求めたこと(エフェ 6:5 - 8)と同じように、主人たちは、キリストへの忠誠に基づいて善意ある行いで奴隷に接すべきです。パウロは、奴隷を脅すことはやめなさいと言っています。奴隷を脅すとは、主人が打つことを含むさまざまな罰を与えていた時代の一般的な慣習です。これには、打ちたたくこと(1 ペト 2:20)、性的虐待、(愛する者から引き離されて)売られること、過酷な労働、飢え、拘束、焼き印、死さえ含まれていました。このため、彼らは神によって裁かれます。 | ||
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パウロは、この命令を次の二つの理由から支持し、奴隷の主人たちがギリシア・ローマ世界の社会構造を超えた世界を見るよう呼びかけています。(1)奴隷の主人と奴隷は、同じ主の奴隷であること(「あなたがたも知っているとおり、彼らにもあなたがたにも同じ主人が天におられ」。コロ 4:1と比較)。(2)天の主は、すべての人を分け隔てなく裁かれること。主が奴隷とみなされる人を他の人と同等に扱われるのですから、奴隷の主人もそうすべきです(フィレ 15、16 と比較)。 | ||
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エフェソの信徒への手紙にあるパウロの言葉の多くは、特にクリスチャン奴隷を力づけたことでしょう。彼らは、神の子とされ(エフェ 1:5)、贖われ(同1: 7)、相続者とされ(同 1:11、14、3:6)、イエスと共に天の王座に着き(同 2:6)、「聖なる民に属する者」、「神の家族」とされ(同 2:19 を 3:14、15 と比較)、キリストの体に属する者(同 3:6、4:1 - 16 参照)とされたのです。 |
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